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県宝三重塔

 寺伝によると、三重塔は建久六年(1195)源右大将頼朝公の建立です。塔本尊は五智如来像で、歳月を経て二度の修理が行われました。その後何度か修復が計画されながら実現されませんでした。元禄時代になっていよいよ倒壊寸前の状態になったので、時の住職二十一世秀榮法印が、虫蔵山中にて修行中の木喰山居上人に願主となって頂き、元禄七年より同十一年まで五ヵ年がかりで、三重塔再建が果たされました。

 塔本尊は、胎蔵界大日如来、阿弥陀如来、釈迦如来の三尊形式で、これは木喰行者としての弾誓流信仰に基づく山居上人の考え方と推測されます。三重塔再建の大事業を成し遂げた山居上人は、残務整理の後、休む暇もなくその年の晩秋「万体佛像謹造」の悲願達成のため再び虫蔵山に入山しました。五年後、元禄十六年九月五日、和佐尾村肝煎徳兵衛宛に「信心に釈迦牟尼佛像、万体謹造し奉る、大願成就皆をして満足せしむ」と書残し、虫蔵山を下り大町弾誓寺住職に就任しました。即ち、上人の虫蔵山に籠もった年数は実に十五年以上にも及びます。

 塔再建後には、柿葺の屋根葺替工事が三回行われ、その後大正十一年十二月に、銅版葺替に変更されました。昭和四十七年七月、諸堂改修工事中に、三重塔三尊佛及び観音堂阿弥陀如来像の躰内より発見された古文書により、元禄再建の実体が明らかとなりました。そして昭和六十年七月、長野県教育委員会において、その歴史的文化財価値が認められて、県宝に指定されました。その折に、塔各所の大修理を要する旨の勧告を受け、平成元年三月、山居精神に基づいた昭和の大改修工事が施されました。

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